乙第32号証
陳述書

平成30年4月5日



大阪地方裁判所 第25民事部 合議2係 御中

大阪府立東住吉総合高校 教諭 小野恵智子


1 私は、昭和59年4月1日に大阪府公立学校教員として任用され、同日から大阪府立富田林高校教諭として勤務し、その後大阪府立金剛高校での勤務を経て、平成26年4月1日から大阪府立東住吉総合高校教諭を務めています。
 本件が起きた平成27年度は、私は、1年団の学年主任をしておりました。

2 本件のK君と男子生徒A君(以下「K君」「A君」といいます)のトラブルが生じた平成27年5月15日(金)は、私は、3時間目及び4時間目に家庭科の被服製作実習の授業が入っており、2時間目は家庭科教室でその準備をしていたこと、昼休みの時間には実習の片づけや次回の実習の打ち合わせなどをしていたこと、5時間目には授業が入っていたことから、K君やA君らに対する事情聴取等には関与しておらず、昼休みの時間に1年次職員室に立ち寄ったときに1年生に暴力事件が起きたということを簡単に聞き、6時間目の生徒指導室当番のときに、生徒指導主事の古井成知教諭から、その暴力事件というのが、K君がA君の授業中の態度に反発を感じ、授業中にA君を引っ張ったりビンタしたりし、これに対してA君がビンタの仕返しをしたというものであることや、K君の反省文の作成がなかなか進んでいないことを聞きました。

3 6時間目終了後、体育館で臨時学年集会が開かれ、私もそれに立ち会い、臨時学年集会終了後の午後4時頃、補導委員会が行われ、それに出席しました。
 補導委員会では、K君とA君を懲戒処分するかどうかが議案であり、古井教諭から、問題行動の内容として、2時間目の授業中にA君が隣の席の女子生徒Bと話をしたり手を触ったりしていたときに、A君の後ろの席に座っていたK君がA君の頭を軽くたたき、その後A君の襟元をつかんで引っ張り席に戻した、しかしA君がそれを無視してBと話をするなどしていると、K君がA君の襟元をつかんでもう一度引っ張って席に戻した、そしてA君が振り返ってK君の方を見たとき、K君がA君のほほをビンタした、これに対しA君はK君が笑っているように見えたので腹が立ち、K君に対しビンタを仕返し、胸元をつかんだということが説明されました。
 次いで、清水耕介教諭(1年の生徒指導担当)から、K君は、A君が授業中に女子生徒Bと話をしたり手を触ったりしていたことから、そのようなことは授業中にする行為でないと思い、注意するためにビンタに及んだものであること、中学時代にも素行の悪い生徒に対し同じようなことを起こしていること、K君に対する事情聴取中にビンタの様子を聞くと、清水教諭に対して実演するかのような行為をしたことなどが補足説明されました。
 また、太田憲央教諭(1年の生徒指導担当、K君らの担任)から、二人の普段の学校生活について、K君については特に問題行動はなかったこと、他方A君については生徒指導上の課題を抱えていることなどについて補足説明がなされました。
 そして、古井教諭から、本校の内部的な生徒懲戒基準では、生徒間の暴力事案は停学3日間とすることになっているけれども、K君とA君との事案は、授業中に互いに暴力を振るい、授業を妨害したという点を加味する必要があり、停学5日間とするのが妥当だとする提案があり、誰からも異論は出ず、K君とA君それぞれを停学5日間とする懲戒処分案が決定されました。
 そして、A君については、翌週月曜日(5月18日)に校長が最終的な懲戒処分の決定を行い、保護者に来校してもらってその言い渡しをすること、K君については、まだ反省文が書き上がっていないので、翌週月曜日に提出され次第、校長が最終的な懲戒処分の決定を行い、火曜日以降に保護者の来校を求めて言い渡しをすることになることが通知されました。本校では、生徒指導事案が発生した場合、教員が事情聴取をして事実関係等を把握した後、問題行動をした生徒に、まず振り返りシートを作成させ、振り返りシートが完成すれば反省文を書かせることになっています。振り返りシートは、質問形式になっていて、質問に順に応えていく中で、当該生徒が何をしたのか、それにどういう問題があるのか、何を反省しなければならないのか等を整理・理解できるようになっており、そのような整理等をした上で、こんどは反省文に、自分の自由な言葉や構成で、自分のしたことや何が問題なのかを書かせることになっています。そして、生徒指導担当が反省文を読んで、事情聴取によって把握した内容と同じことが記載されているか、何か新しい事実等が記載されていないかをチェックした上で、問題がなければ補導委員会に付議し、懲戒処分や特別指導を決定することになっています。K君の場合、補導委員会が行われた時点で、まだ反省文が書き上がっていないということでしたが、A君について補導委員会に付議しつつ、K君については後日の補導委員会に付議するというのは、アンバランスであり、K君についても早期に懲戒処分を決定・実施できるようにして通常の学校生活に戻させるようにすべきであろうということや、K君とA君からの事情聴取結果はほぼ一致していて、その点でも問題がないと思われたことなどから、K君についても補導委員会に付議されたものです。

4 補導委員会は午後4時20分頃に終わりましたが、太田教諭は引き続き生徒指導部会に出席しなければならないとのことでしたので、太田教諭の代わりに、私が小会議室で反省文を書いているK君の様子を見に行くことを申し出て、太田教諭からお願いされましたので、小会議室へ行きました。
 私は、K君の授業を担当しておらず、初対面でした。
 私はK君に対し、最初に、食事をとったか、喉は乾いていないか、トイレに行かなくてよいかを確認しました。これに対し、K君は、弁当を食べたこと、喉は乾いていないこと、トイレに行く必要もないことを応えました。
 そして、私はK君に対し「A君に対し日頃から不満等がたまっていたのか」「A君をどうして叩いてしまったのか」を聞きました。私は補導委員会で、K君が、A君が授業中に隣席の女子生徒と話をしたり手をさわったりしていたことから、それに対して注意しようとしてA君を叩いたという説明は聞いておりましたが、それでも、K君がどうしてA君にビンタをするなどしたのかは、A君自身の口からも聞いておきたかったところですし、また、K君には停学処分による指導後にもコミュニケーション能力のためのカウンセリングなどを行う必要があるようにも感じていたことからその点の参考になればとの思いもあって、そのことを聞いたのです。そのような私の質問に対し、K君は、「A君に対し不満がたまっていたということはない」「A君を叩いたときは、むかついて、頭が真っ白になって、よく覚えていません」と言い、私が「これまでもそのようなことはあったのか」と聞くと、K君は「はい、中学でもありました」と言っていました。
 そのような話をしていると、突然、K君が「僕はもうきっと停学になって学校には戻れないかもしれませんね」と否定的なことを言ったので、私は「そんなことはないよ、今回の指導を受けたら戻れるよ」と言って、K君の発言を否定しました。
 そうすると、K君が「自分の思いを文章にするのが苦手で、反省文がうまく書けません」と言ったので、私は、机に置かれていた反省文の書き方・項目のメモ(三辻教諭の作成したもの)を一緒に見て、「じょうずに書かなくてもいいよ」と言いながら、「そこに記載された項目のうち書きにくいものがあるか」聞きました。これに対し、K君が「6番(やってしまったときの気持ち)と8番(これからどうしたらよいか)が書けません」と言うので、私が「君は、自分がやったことがいけないことだとは思っているの?」と聞くと、K君は「はい、それはわかります」と応えたので、私は「それなら、そう書けばいいんだよ」と言いました。また、私が「これから変わっていければいいなと思っているの?」と聞くと、K君は「はい、そう思います」と応えたので、私は「じゃあ、そのように書いたらいいんだよ」と言いました。
 そして、私が「自分のやったことを振り返って素直に反省文を書けばよいのであり、反省文は長い文章じゃなくてもいいよ、原稿用紙2枚書けなくても、1枚でもいいよ」などと話すと、K君は「はい、わかりました」と言って反省文を書き始めました。
 私が「前に私がいると書きにくい?」と言うと、K君が「はい」と答えたので、私は「じゃあ、外に出るね」と言って小会議室を退出しました。その際、K君は「ありがとうございました」と言っていました。
 私は、まだ太田教諭が生徒指導部会の途中でしたが、K君が反省文を書いていたことを伝えるために、太田教諭を廊下へ呼び出して、K君の様子や、K君とのやりとりを伝えました。

5 その後、太田教諭がK君に対し反省文の作成について指導を行っており、自宅で完成させられる状況になったということで、K君を下校させました。

6 その後、私は、午後6時半過ぎに本校を退出しましたが、住吉警察署から、K君が南海高野線の踏切で列車にはねられて死亡したとの連絡が入ったということで、そのことを翌朝の校長からの連絡で知り、急いで本校へ出頭しました。

7 K君の死亡については、自死ではないかとの話も出ましたが、私が本件当日の午後4時半頃からK君と話をしていた印象としては、およそ自死をするような状況ではありませんでした。

 以上のとおり陳述します。

以上