乙第31号証
陳述書

平成30年4月5日



大阪地方裁判所 第25民事部 合議2係 御中

大阪府立東住吉総合高校 教諭 古井成知


1 私は、平成15年4月1日に大阪府公立学校教員に任用されて教諭に補職され、大阪府立東住吉工業高校で勤務して以降、大阪府立城東工科高校での勤務を経て、平成25年4月1日から大阪府立東住吉総合高校に勤務しています。
 本件の平成27年度には、私は、生徒指導全体を統括する生徒指導主事を分掌しており、各学年に生徒指導担当の教諭がおり、1学年については、太田憲央教諭(1年2組担任、本件のK君や男子生徒A君のクラス担任)、清水耕介教諭、三辻亮平教諭が生徒指導担当となっておりました。

2 K君と男子生徒A君のトラブルが生じた平成27年5月15日(金)は、私は、1時間目から4時間目までずっと授業が入っており、2時間目の後の休憩時間か3時間目の後の休憩時間かよく覚えておりませんが、また誰からかもよく覚えておりませんが K君とA君とが2時間目の授業中にけんかをしたということを聞きました。そして、4時間目が終わった後、午後0時35分頃、太田教諭から、K君とA君との事情聴取が終わり、細部の事実関係まで一致したこと、二人に振り返りシートを書かせたことなどを聞きました。

3 その後、午後0時40分頃、私は、同窓会室へ行き、A君から事情を聞きました。A君とは面識はありませんでした。A君とやりとりする中で、A君は、2時間目の英語の時間に隣席の女子生徒Bと話をするなどしていると、後ろの席にいたK君から頭をたたかれ、襟元をつかまれて後ろへ引っ張られたこと、それを無視して女子生徒Bと話していると、K君から再度、襟元をつかまれて後ろへ引っ張られたこと、そこで、振り返ってK君の方を見たとき、K君が突然ほほをビンタしてきたこと、これに対しK君が笑っているように見えたので腹が立ち、K君に対しビンタを仕返したことや、K君からビンタされたときに我慢できずにビンタ仕返したことも反省していることなどを話しました。

4 次に、午後0時45分ないし50分頃、私は、小会議室へ行き、K君から事情を聞きました。K君とは、授業担当ではないこともあり、面識がありませんでした。
 私は、K君から、A君の襟元とつかんで引っ張ったことやビンタしたことなどの経過を確認した後、「なぜA君に対しビンタしたのか」と聞くと、K君は「うっとうしく感じた」と言い、私が「相手から嫌がらせなど受けたのか」と聞くと、K君は「そういうことは全くない」と言ったため、私は「それならなぜ手を出したのか。学校というところは安心して安全に勉強できる場所でないといけない。暴力を振るうということはしてはいけないことだ」と指導しました。すると、K君が「僕は学校にいない方がいいですね」と言ったため、私は「そうではない、ここで反省して将来のことを考えて変わっていけばよい」と指導しました。ところが、K君が「僕は、変わらないですよ」「15年間生きてきた実体験から、変われないと思う」と言ったので、私は、「そう思っていたら僕らは指導出来ない」「100%変わらないって思っている生徒に何を言っても伝わらない、無駄になるだけだろ?」「少しでもいいから変わろうとする気持ちを持たないといけない」と諭し、「過去にもこのようなことはあったのか?」と聞くと、K君が「ありました」と応えたので、私は「それなら、なおのこと今回で変わらないといけない、成長しないといけない」「変わるかどうかわからないが、変わろうとすることが大切だ」と指導しました。そうすると、K君は「そのことは理解できる」と言っておりました。
 私は、K君と約20分くらい話をしたと思いますが、K君に「きちんと昼食をとるように」と言ってから、小会議室を退出しました。

5 その後、私は、生徒指導室で清水教諭から事情聴取内容を再度聞いて、その集約・整理などをし、午後4時から補導委員会を開いて、K君とA君の懲戒処分を決定することを決めました。そして、それについて、本校の武田校長の了解を得、補導委員会の構成員の教諭に、個々に直接口頭でそのことを通知しました。

6 その後、午後2時頃、私は小会議室へ行き、K君の様子を見に行きました。
 すると、K君が机に伏せて寝ていたので、私はK君に対し「寝てたらあかんやろ、早く反省文を書きなさい」と声をかけ、「自分のした行いを振り返ってきちんと反省し、自分を変えていかなければいけないし、変わるかどうかはわからないが、変わろうとしていくことが大切だ」と指導すると、K君は「なんでそんなに僕に期待をするのか」「僕なら(このような生徒は)切り捨てますよ」と否定的な発言をするので、私は「俺は生徒を切り捨てたりしない」「反省して変わって行けば良い」「しっかり考えてほしい」と励まし、反省文を書くように促して、小会議室を退出しました。
 そのあと、同窓会室へ行き、A君の様子も見ましたが、A君は反省文を書き進めておりました。

7 その後、6時間目の途中、A君が1年次職員室へ反省文を書き終えたと告げ、1年次職員室から私のところへその旨の電話が入ったので、私は同窓会室へ行き、A君の反省文を確認した後、担任の太田教諭からA君の保護者へ連絡を入れること、保護者にも学校へ来てもらうことになること、自宅へまっすぐに帰り、保護者とよく話をすることを通知して、A君を下校させました。
 そのあと、私は、また生徒指導室へ戻り、補導委員会の資料作成などをしました。

8 6時間目終了後、臨時の学年集会が行われ、その集会前に私は、太田教諭に対し、A君の反省文を書き上げたので下校させたこと、A君の保護者に連絡を入れてほしいこと、K君はなかなか反省文の作成が進んでおらず、私が「今回のことは反省して変わっていけばよい」というような話をしたのに対し、K君が「僕は変わらないですよ」などというので、「変わるかどうかはわからないが、変わろうと努力すればよい」という話をしたことを伝えました。

9 学年集会終了後、午後4時頃から補導委員会が行われました。私が生徒指導主事として議事進行役を務めました。
 本校では、問題行動をした生徒に振り返りシートと反省文を書かせ、反省文が完成されて、教員がそれを読み、教員が事情聴取した内容と食い違いがないかどうか、教員の聞き取れていなかった新しい事実が記載されていないかどうかなどを確認し、問題がないと判断されたときに、事情聴取終了となり、補導委員会へ付議することになっています。しかし、K君については、まだ反省文を完成していませんでした。しかし、反省文ができあがったA君だけを補導委員会に付議し、K君を後日別の補導委員会に付議するというのはアンバランスですし、K君とA君からの聴取結果はほぼ一致していて事実関係が把握されているので、K君についてもこのときの補導委員会に付議しておき、反省文ができあがり次第懲戒処分(停学処分)にして早く通常の学校生活へ復帰させたほうよいことから、K君についてもこのときの補導委員会に付議することにしたのです。
 そして、私からK君とA君との問題行動(A君が隣席の女子生徒と話をしたり手を触ったりしていたことから、K君が注意のつもりで、頭をはたいたり襟元を後ろに引っ張って席に座らせようとしていて、A君がK君の方へ振り向いたときに、K君がA君のほほをビンタしたこと、これに対しA君がK君が笑っているように見えたので腹を立ててビンタ仕返し胸元をつかんだこと)について説明し、清水教諭や太田教諭から補足説明もなされた上で、ふたりをともに停学5日間とする案を決定しました。本校の内部的な生徒懲戒基準では、生徒間の暴力事案は停学3日間とするのが原則ですが、今回は授業中の暴力であり授業妨害をした面も加味して停学5日間としたものであり、補導委員会から反対意見は全く出ませんでした。
 そして、A君については、翌週月曜日(5月18日)に校長が懲戒決定をして、A君の保護者にも来校してもらい言い渡しをすること、K君については、翌週月曜日に反省文の提出をしてもらい、火曜日以降に保護者に来校してもらって言い渡しをすることなども決定しました。
 補導委員会は午後4時20分頃に終了しました。

10 そのあと、小野教諭がK君の様子を見に行ったり反省文の作成について指導を加えておりましたが、午後5時20分頃に、私は太田教諭と、午後5時を過ぎているので、そろそろK君を下校させて、反省文は自宅で書かせるようにしよう、と話し合いました。太田教諭とK君の帰宅について話をした後、太田教諭がK君の元に戻るとK君が反省文を書き続けようとしたことから、20分くらい反省文を書かせ、あとは自宅で完成させることができそうだったので、下校させました。
 そして、私は、太田教諭を待って、一緒に本校を退出しました。

11 その後、太田教諭から、「K君が踏切ではねられたとの連絡が、警察から学校にあった」との連絡があったので、私も直ちに学校へかけつけました。

 K君の死亡については、あらためてご冥福をお祈り申し上げる次第であり、ご遺族の方々にもあらためてお悔やみを申し上げる次第です。
 K君の死亡の原因は明確にわからず、自死ではないかとの話も出ておりましたが、K君とA君とのトラブルは高校生には一般的に起こりうるトラブルですし、本校の事情聴取方法や指導方法もごく通常のやり方をとっていたものです。K君がA君の授業態度を注意しようとしたことは評価されることではありますが、ビンタをして制止しようとするのは問題がありますので、そのことをきちんと口頭で指摘し、指導して、理解してもらおうとするのも、通常のことです。その指導の中では、誰もK君を怒鳴りつけるなどの言動は取ってはいません。K君を学校に留めていた時間が多少長くはなっていますが、これは、K君がなかなか反省文が書けず、また、私を含め複数の教員が指導をすると本人が反省文を書こうとする姿勢も見せていた結果として、多少長くなってしまったものであり、そのことに問題があるとも思えません。そして、下校時にはごくふつうに太田教諭と教室へ荷物を取りに行ったり、挨拶をかわしたりしていたということで、特に落ち込んでいたなどというような状態ではなかったということです。このようなことからすれば、K君が仮に自死に及んだものであるとしても、教員としてはそのようなことは全く予期もできなかったことだというほかないものですので、この点のご理解をいただければと思います。

 以上のとおり陳述します。

以上